2日目が今回の旅の中では最もハードな日程だったといえるでしょう。
まずは、読谷村。ここでの平和ガイドをお願いした伊佐眞政さんは元高校の先生。この日のために、手製の非常に詳しい資料をご自分で用意されてました。もう~、みんなびっくりするほどのクォリティー。大感謝です。
以後、読谷村パートでは、伊佐さんの書かれたテキストをほぼ全文引用させていただきます。
(ここから引用)
<読谷村>
①、沖縄本島中部の西側半島状にふくらむ所に位置する。人口3万8千余。年々人口が 増えている。村内の学校は県立高校1校、村立中学校2校、村立小学校5校。
②、琉球王朝時代は「大北」(ウフニシ)と呼ばれた。戦前は読谷山(ユンタンザ)と いった。今は、読谷村(ヨミタンソン)という。
③、読谷村は沖縄戦でいち早く米軍が上陸した地点である。日本軍が放棄した北飛行場 を占拠し、村全体が占領された。多くの村民は北部の山原に避難した。戦後になり、 必要なところは米軍が優先的に基地を作り、村はズタズタにされた。その結果、元 の集落に戻れず、他の字地に住まざるを得なくなった。
1972年復帰時に米軍基地は73%あったが、戦後61年、熾烈な闘いの結果やっと、 飛行場跡地が帰り、軍用地は36%になった。
④文化村、平和村で知られる。
文化:村祭り、エイサー、琉舞、三線、古典音楽、ヤチムン、花織等
平和:戦争体験に基づく平和思想が根強い。戦後は反基地・権利回復の戦い。
⑤産業としては農業、水産業、商業があり、軍雇用、公務員、建築業が多い。
農作物は紅芋、サトウキビ、メロン、電照菊等
⑥読谷村の目標・
基本理念 「恒久平和、自主自立、共生持続」
はな みあてぃ
あるべき姿 「ゆたさある風水 優る肝心 咲ち誇る文化や 村の指針」